時間が空いてしまいましたが
ライブ後記 書きます…。
久々にブログ更新…。
やっと最近書きたい欲が出てきました。
ライブ自体は
咽頭炎と思われる
声帯の炎症で
史上最悪の歌声でしたが
それでも諦めずふりしぼって
やりきった感はあり
何か憑き物が落ちたような気分。
まずは
池袋FIELDでのブッキング
ありがとうございました。
鬱気味(ガッツリ寝込み)になった
今年(2024年)2〜4月
思えば、再就職の壁もあり
いちいち悩み
自分の音楽への自信が喪失し
毎日のことにすら疲労してしまい
気力が戻らなかった。
(詳細は後述できればしていきます。)
その後、鬱状態をひきずりつつ
自分にムチを打ち、求職活動をして
とある方の紹介でテレオペの仕事をはじめ(3カ月で終了)
楽しく仕事できそうなシェアフル(隙間バイト)を経て
外食産業へ参入(スカウトされる(笑))
何となく安定し出した頃
行けるかも?と感じ、封印したのに
※あの時はもう行けないかも、行くとしても来年とか再来年…と思っていた。
またしてもベトナムへ行き
(初ニャチャン7/27~一週間)
少しでも『気力』が
復活するよう願い、確かに少し復活したのだが
その後またしても下の波がきてしまい
9月下旬より体調が(精神的)悪化してしまった。
そんな流れだったため
10月のライブはほとんどできなかった。
・イケサンパークでの野外ライブ
←腱鞘炎による関節の腫れと痛みでピアノ演奏困難
・池袋FIELDでのブッキング
←腱鞘炎悪化・指の付け根の腫れによるピアノ演奏困難
・舵輪/浅草←原因不明の熱(38.1C)でドタキャン
こんなことは前代未聞。
~さかのぼること半年
2024年3月は横浜吉野町のこびとさんのブッキングを
前日くらいにキャンセルし(起き上がれなかったため)
わたなべさんからのビックオープンマイクも
せっかくお誘いいただいたのに(Strengthからのお付き合い)
行けなかった。そのため、もっと活動を制限しようと切実に思い
FIELD以外はなるべく入れないようにした。
ピアノのレッスンもジャズのボイトレも
殆どやれなかった。
予定を入れるのも怖くなった。
山石さんからは辛かったら少し休んでもいいと言われたが
唯一のFIELDを休むのも怖かった。
演奏がダメダメなくせに意地を張った。
2月の頭にアー写をタカさんに撮ってもらったが
ワンマンをすること自体に
ものすごいプレッシャーを感じてしまい
自分の思い描くワンマンにものすごく
違和感を感じてしまい、やりたくないと感じ
白紙にしてしまった。
作った曲も(今年1月にベトナムカンボジアへ旅行中作った曲)
イマイチ山石さんが反応してくれず
無になった脱力感(自分でも気に食わなかったし)
空回りばかりで自己嫌悪。
もうライブ活動を休止すべきだろうとも思い詰めた。
やってもダメ、やらなくても嫌悪感の答えの出ない迷路。
歌いたいだけなのにずっと空回り。
何かが自分を支配し、自分で自分を追いつめている。
そして先日咽頭炎(声帯直撃)になった。
FIELDの直前だった。
ライブ当日、ファルセットは全滅。ピッチもひどい。
それでも歌った。ドタキャンだけはもうしたくなかった。
涙がでた。悔しくて。
自分で自分の作った歌に励まされたが
そんな自分の歌が今は書けなくなっている現実に
絶望した。
そして絶望した状態から少し光明が見えた時、
自分を改めて信じることができたような気がした。
「鬱」と戦えている自分がいることを。
決して手遅れでも、悲しむ必要もなかったことを。
諦めたワンマンも形態を変えたら
「やりたいもの」にしていけるきっと…。
と思えた。
本当ならば今年ワンマンをして曲をどんどん
増やして配信も増やす予定だったのだが
肝心の曲が全然できないからあせっていたのか…。
そんな中、先日夏の曲が出来上がったから達成感があった。
(原型を作ったのは今年の3月頃だった気がするが)
色んな絶望、鬱、虚無感、喪失感を抱えたままでも
スローで走ることはできたんだなぁと。
声帯が壊れた先日、歌えなくなる恐怖を感じた。
歌えなくなることは私にとって実質的な タヒ を意味する。
ライブ活動をやめて制作だけやるということにも
違和感がある…。
やはり私は歌ってナンボ。
ペースに制限をかけて焦るのは今はやめよう。
でも走る。決めよう。
そしてやりたいことも
(海外世界遺産めぐり+東南アジアプチ沈没旅)
ちょっとずつ予定していこう。
↑と書いてしまっておいた続きを書きます。
ライブ後記赤坂カーペディアム
まずは”まさかの満席”なんて!!!
嬉しすぎる結果でありました。
恒例とは言っていても
相変わらずの集客で
自分としてはなすすべがなく
Pinkey Snowさんにおんぶにだっこ…スミマセン
そして喉も前日までハラハラの状態。
それでも歌える幸せを取り戻したので
(要は自分の気の持ちようなのだが)
意気揚々とステージへ。
喉も8割の出来、指は6割の出来。
肝心なところで弾けなくなる時がしばしば
それでもピアノと一体となって演奏していると
ああ、やっぱり私は弾き語りが好きなんだと
再確認ができた。
腱鞘炎とはうまく付き合っていくしかないのだが
改めて…改めて…
歌いたい。歌い続けたい。強く願う。
面倒なことなどどうでもいい。
こんな単純なことだったのに
なぜずっとうじうじと考えてばかりいたのか…。
自分史上最長の長い霧の中にいたように思う。
それもまたこれからをちゃんと
していくためのステップだったのだろう。
一つまた、何かが進化したと感じる。
もう…大丈夫!