2021 9/14~16 in大阪:制作名目の短い逃避 その2

9/16早朝5:08起床。だるい。ゴロゴロして荷造り、作文。

部屋を整え、身支度をし、6:50頃自転車を借り、あべのハルカス

から天下茶屋方面そして、萩之茶屋付近へ行ってみる。

そう前回行けなかった

最恐DEEPスポット。夜はとても行けない場所。

あべのハルカスへはドヤから自転車で7分くらいか?

行く先々でPVになりそうな街の風景を撮影してみる。

こういうのもなかなか楽しいな。別に大阪でなくても

できそうだなとか思いながら、常に音楽のことばかり

考えられてる現状に満足と感謝をしつつ、ついに最恐スポット

三角公園へ。途中、道を間違ったりしたので少し時間が

かかったが、それでもあべのハルカスから自転車で

約20分くらい(撮影時間除く)だろうか?

あべのハルカスから三角公園へ移動したときに
みつけたアートなビル

とうとう参りました。うわさの三角公園。&萩之茶屋付近。

最もDEEPなエリアです。入った途端空気が変わったのが

わかりましたよ。ここは異世界まさに異界。

私が泊まっている動物園前駅付近とはまた別の空気感。

日本じゃない。スラム感満載。普通に建物の軒下で

寝てる人早速発見。大丈夫?しんでないよな(不謹慎でゴメン)

長屋のコンクリ版というかプチ団地。築何年なんだろう。

もしかしたら建築法にもひっかかるかもしれない。

カンボジアのプノンペンにある「ブディン」というスラム団地

よりかはまだいいけどというレベル(googleで検索してみてください)

さすがにこの辺に住むことはできないな…(住む気でいたんかい)

お店も結構というか殆ど閉まっていて、昭和感通り越し、戦後の

闇市まで戻る というか引きずっている感じ。もはや郷愁を感じる

という雰囲気などどこにもなく、笑えない場末の芝居小屋を

無理やり見せられてる感じ。

思うに、この状況(状態)が温存(放置?)されているのは

行政のテコ入れがなかったというよりかは、(他の区の)人を寄せ付けない

状態を、我々は全然OKだと思っているし、口出すな的な

ものと、住民たちの「それで全然OKだし何か?」という

やさしさであろう。何度も再開発の話はあったであろうけれど

住民たち自身の「ここに住む。再開発しなくとも」という村社会

があったのではなかろうか。

さらに言うならば、

どんな人でもOKよ! お金なくてもここでは快適に暮らせるし!

みたいなものもあったのかな…。あくまで推測だが…。

低コストで、それなりのクォリティで暮らせる場所、しかも暮らす

ために必要なもの殆どがすぐ低価格で揃う。転落しかけても踏みとどまり

生を営める、そんな場所がこの西成区 そしてこの萩之茶屋付近

ということではないか。だから変に薬物も横行してしまったし、

ドロボウ市や生活保護で暮らす人たちの「保健薬転売」横行

でもあったかと思う。

優しい街すぎて、すぎて 度が過ぎてこうなっちゃった てな感じ。

結論として 西成のドヤはこれからも何度か行くことに

なるであろうが、(ミカド、来山オンリーで)

天下茶屋、萩之茶屋の周辺はもう行かないなぁ…。

確かに異世界である。でも、私の生活圏内には「三角公園」

の やさしさ はいらない。やさしさは大事だけれど

付け入っても付け入られても ダメ ということでしょう。

さて宿に戻り、荷造り。ブログ下書き作成。詞も少し書いて

ぼんやりと休憩しながら ふっと コブクロさんの「永遠にともに」

を聞く。(詞も読む) … 泣く(今?)息子の結婚式想像して。

何刺さってんの。刺さる歌詞書こうとしてミイラとりがミイラに。

刺さる歌詞書くにはまず泣こうってか。まあ泣いたからな。

かけるでしょう。きっと。(自己暗示かける)

もうチェックアウトの時間ですよ!