JAZZは好き 時々嫌い

歌が大好きで

音楽活動をするようになり

自分で作った歌で自分で弾いて

そうじゃないとダメだと思ってたが

人の伴奏でも歌いたかったのも

事実。

でも私のことだからそれはすぐ飽きる

と思った。(性格上)

だから、人の伴奏で歌うなら

難しい歌じゃないと意味がないと思った。

だからJAZZを歌うのかも。

他にも色んな理由があって

JAZZを歌うが、

耳コピでよかった歌謡曲とは

まるで違うから、

耳コピで入った私は

毎回大事故を起こしていた。

(sessionで)

何度歌っても

耳コピしかできなかった私は

迷路に毎回はまり、

何度かやめようともしたが

同じやめるなら

もうちょっとましなやめ方

したかったっていうのもあった

(悔しいし(笑))

レッスンを始めたころ、本当に苦しかった。

とんでもないものをやってる。

やばい 

続けられるだろうか?

体がもつだろうか?

分不相応かも…

と何度も思ったが

最終的に楽しければプロセスが苦しくても

いいんじゃないかと思った。

その証拠に、ボイトレの先生は

レッスンは厳しいが(当たり前だが)

そのほかは本当に優しく、また

かわいいと思えたり、

私の作ったお菓子やパンをいつもおいしそうに

食べてくれる。

こういうときは師弟関係でなくなって

いるのも、続けられている証拠だったりする。

しかし

こんなにも上達結果があまりわからないものもない。

時として落ち込む。

富士山でたとえるならまだ三合目にすら

届いていない。

いつもゴールの見えない

マラソンを続けているような感じだ。

それでもいいと思えてきた。

完成がすべてではない。

完成は死ぬ瞬間でいい

そう思ったら、楽になった。

こんな考えになって

日常生活がポジティブになった

それと同時に

メンタルがどんどん強くなって

いったと感じる。

過去に絶望を感じながらやったと書いたが、

その「絶望」を楽しむという

不思議な感覚を味わっている。

何事も楽しめばいいのだ。

そして、辛いこと、苦しいこと

それらをプラスに変えて

いけたら、なんと楽しい人生か。

物事捉え方ひとつで風景が変わる。

そんなことを教えてくれる

わたしのJAZZ

この年で難しいことに挑戦するのは

無謀だと思った時もあったが

好きなことを

始めるには年齢も性別も国も

何も関係がない。

思った瞬間が

スタートなのだろう。

それにしても…

やってもやっても

なんだかいまいちだなと思う。

昨日もそうだった。

そんなときは嫌いになりそうだ。

そう思って距離を置く。

それもまた必要なことなのだろう。