グーグルのフォトに
この日の思い出ということで
7年前の写真が出て来た。
弾き語りを始めて
約5か月のころ。
信じられない速さで何かが
始まっていった記憶だけがある。
このころ、何故か(含む10月)
3本のブッキングが入って
しまっていた時。
①ひまわり広場で手をつなごう(原宿/現在は閉店)
②ライブバーR(西川口)
③田園都市線のストロベリーフィールド(今はやっているか不明)
↑特にこのハコは今思うと法外な出演料だった
回想…
オリジナルを作りながら、
ピアノを必死でやり、
よくわからないまま
日が過ぎて行った
ということだけが記憶にある。
歌いたい
それだけのことを
するために
色々な試練があることなど
まだわからなかった頃。
情熱だけで進んでいけた頃は
幸せだった。(歌詞のようだ)
本当に幸せだった。
思い描いていたことが
こんなに早く叶うなんて嘘みたいだと
思った。
それだけでよかったと思う。
でも、簡単に叶うことって
実は裏で興ざめしている。
心のどこかで何かを渇望していた
のだろう。
何か…違うんだよな..と。
それはワンマンをやった次の週
思ったことでもある。
この日↑の1年2か月後、
2016年11月6日
Strengthという新宿歌舞伎町にあった
ライブバーでワンマンをやった。(ここも現在は別のお店になっている)
忘れられない日
だけれども、終わった瞬間
次のことを考えていた。
つまり、ワンマンは最終の目的ではなかった
ということ。その自分の気持ちがわかったとき
私は何がしたいんだ?とも思った。
やってもやっても
麻薬中毒者のように、さらにさらに を
求めているジャンキーと化し
ライブだけでは飽き足らず
企画やBGM制作やOM司会までやる発展
(一番きつかったのはバンド参加)
ワンマンの話もあちこちからかかり
結局集客で悩み、やめた…ということも
あった。
しかしながらこれらの経験は、
今の状態を形成しているわけだが
ちょっと横道にそれたら、ある程度
間違った方向へは行く。
軌道修正してくれたのがJAZZだった
ような気もする。
歌いたいだけなのに
その情熱が強すぎて
人の世話まで…という感じ。
面倒見はいいほうかもしれない。
私でできることならばと
余計なお世話を焼いてしまうこと
多々…。
でも今は苦しい。
曲が納得いく出来に全然ならない。
でも納得って何だろう。
「私の価値観」を
そろそろ客観的にとらえるべきだろう。
今そのギャップに悩んでいる。
新曲を作ると山石さんが喜ぶから
それだけのために曲を作っても
いいじゃないか?という結論を
出したはず。
なのに自我が強すぎて
納得いかないから
”やりたくない” になっていて
自分と戦っている状態。
逃げたくなると旅してるし。
ああ…どうしたらいいんだろう。
でも何も考えずひたすら
変だろうが何だろうが
突き進むしかない..と思う。
ブッキングの前日に思うことでは
ないだろうが、
何かを吹っ切るためにここに書く。